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東京高等裁判所 昭和27年(ネ)2162号 判決 1955年6月29日

控訴人(被告) 株式会社朝日新聞社

被控訴人(原告) 小原正雄 外一名

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴人訴訟代理人は「原判決を取消す。被控訴人等の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審共被控訴人等の負担とする。」との判決を求め、被控訴人等訴訟代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述並びに法律上の主張は、被控訴人等訴訟代理人において、

第一、控訴人が本件解雇の根拠とする所謂マ元帥書簡の解釈及びその効力について。

(一)  昭和二十五年七月十八日附マツクアーサー元帥書簡は、アカハタの無期限停刊だけを指令したものであつて、一般報道機関にはその適用がないものである。(1)右書簡(乙第一号証の一、二参照)は「……かゝる状態の下では、日本にあつて小数の者が公共の報道機関を自由かつ無制限に使用することは言論の自由という考えに反するものである。」といつている。「公共の報道機関を自由かつ無制限に使用する」ということは、その報道機関を経営し、或は編輯する者でなければできない。共産主義者はアカハタやその後継紙を「自由かつ無制限に使用」したといえるかもしれない。しかし控訴会社のような大新聞社で、記者の取材した原稿が新聞紙面にあらわれるまで、デスク、部長、整理といくつもの関所があつて、新聞社の方針によつて整理され統一されて行く機構から考えても、一記者に過ぎない少数の共産主義者ないしその支持者によつて「公共の報道機関を自由かつ無制限に使用し」得るものでは断じてない。そしてこのことは右のマ書簡が共産主義者またはその支持者の経営し、編輯する公共の報道機関についてだけいつていることを示すものである。(2)右書簡はまた「公共責任に忠実な自由な日本新聞界」といつている。更に同年六月八日のアカハタ幹部追放を指令したマ元帥の書簡(乙第三号証)では「日本の新聞全体としてこの要請(占領軍の)に見事に反応し、高い程度の責任を果して、外国から訪れた多くのジヤーナリストから、きわめて高い評価の言葉を受けるほどであつた」といつている位であつて、日本の一般報道機関はマ元帥によつて賞讃されこそすれ、何等現実の危険性を指摘されていない点からみても、前記マ書簡が一般の報道機関から一労働者に過ぎない共産主義者を排除することを指令していないということになる。(3)前記七月十八日のマ書簡の報道に当り控訴会社発行の朝日新聞は「日本共産党機関紙アカハタおよびその後身たる各紙の発行を無期限に停止する措置を講ずるよう指令した。マ元帥の書簡内容次のとおり」と前書している。(乙第一号証の二前文)。これは一般の新聞がこの書簡の内容をアカハタとその後継紙の無期限発行停止のみと解釈したためであり、この解釈は当然である、しかるに同月二十四、五日頃占領軍の下部の当局がこの書簡の解釈として、一般の報道機関からも共産主義者を排除すべき趣旨であると伝え、また本件におけるマ書簡を控訴人のように解釈する。唯一の資料とせられるニユージエント声明(乙第五証の一、二)がでたのは、占領軍の下部機関が、マ元帥の書簡に便乗して同書簡を曲解することによつて、反動的占領を行わんとしたものと見る外はない。しかも右ニユージエント声明は「日本の新聞発行者および日本放送協会経営者が最近その内部機構を再検討し、その結果現在並びに潜在的な破壊分子の解雇を命じたことは時宜を得た勇敢な措置である」(乙第五号証の二)として、右解雇は控訴人等各経営者の自主的措置であつて、占領軍は何等関知しないかのような声明の仕方である。従つてこの声明も右マ書簡を控訴人のいうように解釈する資料とはなり得ないものである。(4)解雇は制裁の最大なものであり、一種の刑罰であるから、解雇の指令の有無は、罪刑法定主義の原則と同じく、厳格な解釈がなされなければならないのであつて拡張解釈は許されない。

以上これを要するに前記マ書簡による指令が超憲法的効力を有するとしても、右書簡そのもののうちには一般の報道機関から共産分子を排除せよとの指令は含まれておらず、従つて右憲法外のマ元帥書簡による、一般の報道機関から共産分子を排除しなければならぬという、日本政府ならびに国民が遵守すべき法的規範は存在しなかつたことに帰着する。

(二)  前記マ書簡は超憲法的効力を有するものでなく、しかも日本国憲法に違反するから、無効である。(1)日本国憲法はポツダム宣言にもとずくものであり、間接管理の基本原則として連合国が承認しているものである。故にこの憲法の条規に反する連合国の直接関接の指令はあり得ないわけであり、これにもとるような指令は無効でなければならない。ポツダム宣言によれば、わが国の占領管理は単に勝者の敗者に対する圧制ではあり得ない。占領軍の日本国憲法を無視した気儘な管理は許されないのである。昭和二十七年四月二日のレツトパージに関する最高裁判所大法廷決定は「日本の国家機関及び国民が連合国最高司令官の発する一切の命令指示に誠実且つ迅速に服従する義務を有すること、従つて日本の法令は右の指示に抵触する限りにおいてその適用を排除される」旨判示し、恰かも連合国の日本管理については、日本国憲法にかかわりなく勝手な指令をなし得る如く解釈しているのは、その弱点蔽い得ないものがある。(2)しかしいずれにしても平和条約発効後の昭和二十八年七月二十二日の最高裁判所大法廷判決の多数意見中の四裁判官は、アカハタの無期限発行停止を指令する右マ書簡は「通常の検閲制度にもまさつて言論の自由を奪う」とした。これによつてみると、前記七月十八日附マ書簡のアカハタおよびその後継紙の無期限停刊の指令は、憲法第二十一条に違反することは明らかである。いわんやその書簡のどこからも、明文によつて指令されたことのわからないような、一般の報道機関から共産主義者またはその支持者を排除すべきことを要請した指示なるものが、既に指摘したとおり(この点原判決にも摘示されているから省略する)憲法第十四条、第十九条、第二十一条に違反するものであることは、多言を要しないところである。そしてこの憲法違反は、今日において憲法に違反するばかりでなく、昭和二十五年七月二十八日当時においても、憲法にかわりはないから、憲法違反であり、ただ当時は占領中であつたため、裁判所がこれを看過したというに過ぎない。(3)右の如くかりに連合国の日本占領中は、前記指令を目して憲法外、日本国の法体系外のものとして、その法的効力を認めることは、被占領国としてやむを得なかつたとしても、平和条約発効後日本国が完全な主権を回復した今日、行為時(本件にあつては前記マ書簡による指令及びこれに基ずいてなされたという解雇の意思表示のあつた時)に如何なる憲法外の法的規範が横行していても、憲法外の法的規範から裁判所が自由になつたときは、すなわち外国裁判所でなくなつたときは、憲法にもどして憲法に基ずいて裁判しなければならないのである。刑事訴訟では免訴の裁判などにより解決の途はあるが。憲法違反は民法第九十条の公の秩序、善良の風俗に違反することの最たるもので、この憲法違反に関する限り、民事訴訟においても裁判時の法律によるべきであり、このうちでも特に第十四条、第十九条、第二十一条の違反については、一層その理由があると考える。

第二、控訴人が被控訴人両名を共産主義者またはその支持者と認めるに至つた具体的事実としてあげている点に対する反論。

(A)  梶谷関係

(イ)大阪商大在学中の事件、(ロ)天満署公安係員の指摘、(ハ)アサヒニュース関係、(ニ)ジヤーナリスト連盟関係、(ホ)新聞単一または全新聞の役員関係、(ヘ)大西問題の各点については、大体原判決の認定の程度が事実の真相である。

(ヘ)について控訴人は当審において更に布衍強調しているから、この点について反論する。――(1)全新聞朝日支部から大西救援の共同闘争の申入れが全朝日に行われた後に、梶谷が村岸に誘われて朝日労組え懇談に行つたのは、このような全新聞からの申入れがあつたが、お前の方はどうする、おれの方の態度は未だ決まつていないが、といつた程度の態度で行つたのであつて、梶谷が村岸同様共同闘争の申入にいつたものでないことは、原審証拠上でも明らかである。(ただ乙第二十三号証の一の記事中に歪曲があるが、これは当時全朝日と朝日労組との対立から生れた記事だとみてよい。(2)また控訴人は「梶谷が全朝日労組を動員せんとして本部情報を地方支部に通報した」というが、この本部情報を流したのは六月三日東京支部拡大委員会の決定があつた後に、本部書記長が職務として流したのである。(原審三枝証言)そしてこのようなことに限らず、支部決定を本部情報として地方支部に流すことは、本部機関の任務であり、担当機関が自動的に流すのが労働組合の常態であつて、梶谷個人の関係しないことである。(3)更に控訴人は「東京本部役員、東京支部役員より成る合同拡大委員会において、労組本部の名の下にこれが決定をなさんとしたるも、その間大阪支部等の反対にあうや、目標を大西兼治一人に変更すると共に、中心を自己の威令の行い易い東京支部に移して所期の目的達成を図つた」というが、東京支部の在京している本部役員にも参加して貰つた拡大執行委員会はあるが、本部と支部の合同拡大委員会なるものはあり得ない。この支部拡大委員会の決定は、支部決定以上のものでない。そして六月三日の東京支部決定以前の大阪支部員の態度は、機関の決定がないのに救援活動をするのは納得できないとの態度であつて、占領軍のことには触れたくないとの大阪の態度決定は六月三日後本部情報を流した後に出たものである。また東京支部も既に六月一日に自主的に全新聞の申入れと別個に救援を考えていたのであつて(乙第二十三号証の一下欄「全朝日自主的に」を参照)、全朝日東京支部は最初から、大西一人のみを問題としており、それも判決前占領軍に関することに触れたくないとの空気があり、六月三日の軍事裁判所の判決の日になつて、漸く大西一人について減刑歎願と、大西から仕送りを受けていた家族の救援のためのカンパを、決定するに至つたものである。(4)その他大西問題に関する控訴人の主張事実は誇張に過ぎ、控訴人提出の乙第二十号証に全新聞、全朝日の連名あるも、同号証の「全朝日」の名は無断で全新聞により書かれ、直ちに全朝日の抗議でこれを抹消したものであること、原審証人三枝、同大西の各証言により明らかなところである。――要するに大西が如何なる犯罪を犯したにせよ、同僚社員たる立場でその減刑の署名や、家族救援のカンパをすることは、たとい他組合の者に対するにせよ、労働組合としては正当な組合活動であると謂うべく、この民主的な機関の決定による組合活動を解雇理由とすることだけでも、本件解雇は不当労働行為となる。(ト)その他の個人的問題、控訴人は梶谷が本江、谷部、浅野、大西と親交があつたとするが、仮りに梶谷がこれらの者と往来した事実があつたとしても、組合の役員であつたために役員として交際した以上のものでない。そして単なるかかる交友関係からその人の思想を断定して、パージにするような残虐行為は許さるべくもないところである。

(B)  小原関係

控訴人の(イ)いわゆる意地の悪い取材報道等に関する事実、(ロ)(I)東宝争議(II)放送協会関係(乙第三十五号証の記事)(III)改造社関係(甲第七号証の記事)(IV)文化部担当期間の行動(V)国鉄労組加藤委員長帰朝出迎の問題、その他、(ハ)社会部長進藤次郎氏とのマルクス問答、(ニ)川手泰二問題、(ホ)他部配転の問題についての事実の真相は、大体原判決認定のとおりであるが、右(ロ)の(III)改造社関係につき控訴人は、当審において更に補足するところがあるから、これに対し一言する。右控訴人の主張によれば「インボデン警告は、改造社からの報告もCICからの報告も全く一致しておつて、小原が同会社幹部に威嚇的な言辞を用いた事実に鑑み、共産分子とみられることを控訴会社に告知しておる」とし、「占領下にあつた当時の状況よりすれば寧ろ一応適切な資料ありと解すべきである。」としている。しかしいかに占領下とはいえ、これを認むべき具体的事実がなくても、単に総司令部が共産党員とレツテルをはれば、それで十分だとするのは暴論であつて、かかる単なる断定のみを根拠にした解雇は、わが国法の許さないところである。なお「小原をパージしないときは控訴会社が総司令部の命令違反の責任を追求されたものと思料される」というが、門田局次長は、小原は共産党員ではないとインボデン氏の前で断言しているのであつて、責任を問われるいわれはあり得ない。インボデン氏はパージのリストに小原の名前を見て満足したというが、かりに左様なことがあつたとしても、それは同氏の個人的嗜好の問題である。そして小原の解雇は他の者よりおくれて八月一日付になつているが、もし控訴人のいうように、この点から小原の解雇が決定的のものであるならば、最初の七月二十八日に行われていた筈であつて、これも後に附加した理由に外ならない。

(C)  被控訴人両名の共通関係

「国民と共に」は言反朝日班(言論弾圧反対同盟朝日班)の機関紙である。言反朝日班は本件のような不当解雇を争うために、中労委えの提訴、裁判所えの出訴、会社との交渉、失業保険金を貰うための煩雜な手続、就職の斡旋、その他個人個人では実際上処理できない問題が山積していたのであるから、これに対処するため作られたものである。共産主義者である者も、そうでない者も、ひとしく不当な解雇であると信ずるものが、これを争うために一つの組織を作つても、かかる窮地に追い込んだ経営者自らが、それを目して共産党員と行動を共にしていると責める資格があろうか、梶谷がたまたま行き合わせたときに右「国民と共に」の、がり切りを手伝つたことがあつたにしても、梶谷、小原両名共次第に言反とも意見が合わなくなるに従つて、その機関紙とも遠のき、九月(昭和二十五年)からは殆んど関係していない。そしてたまに編輯者から求められて、乙第三十号証、乙第三十二号証のような挨拶を両名が送つたとしても、解雇のときに一つの組織を作り、組織の世話になつたものとしては、当然の義理を尽したに過ぎないというべきである。そして「国民と共に」はアカハタの後継紙ではなく、アカハタの後継紙に相当するものとしては、別に本件解雇者の共産党員のみからなる朝日の細胞機関紙として「アサヒ」(甲第十号証)があつたのであつて、両者は厳格に区別されねばならない。と述べ、

控訴人訴訟代理人において

第一、公共の報道機関よりの共産主義者ないしその支持者排除の指令と、これに対し控訴会社の採つた実施措置について。

(一)、昭和二十五年七月十八日付を以て公共報道機関より、共産主義者ないしその支持者を排除せよとのマツクアーサー元帥の書簡が発せられた直後、控訴会社を含む東京八大新聞の責任者は、総司令部より同書簡を完全実施するよう厳重指令せられた。しかして同書簡実施についての指令は、至上命令として発せられたことが明かであつたから、控訴会社を含む右各新聞社はいずれも、伝統的特殊性にかかわりなく一斉にこれを承認する外なかつたのであつた。

(二)、ここに於て控訴会社は短日時乍ら、可及的十分な調査の下に同指令に該当すると確信する者のみを対象とし、この目的達成のため現場幹部の意嚮をも聴取することとしたが、組合活動又は全くの私行等前記指令に直接関係のない要素は、一切考慮の外に置くとの方針を決定し、これに則り極力あらゆる角度から具体的資料の蒐集をなした後、個々についてこの解雇の当否を重役会において検討の末、本件解雇者を決定発表したものである。

(三)、従つて右至上命令の実施に当つては、一方同命令に背反しない範囲内において、可及的に被解雇者の利益を図るべく、例えば退職金支給の決定、組合に対する連絡と同意の取得等をなした後、就業規則に照らし処置したのであるが、他方これがため万一誤つた資料によつた措置として、総司令部の容認を受けられるときは、控訴会社にとつて重大なる結果を招来する虞があつたので、重役会の審議は十分にも十分を期し、確信を以て解雇者の氏名を発表したのであつた。

(四)、原審判決にも認定されているとおり、控訴会社の本件解雇の措置は、当該解雇の具体的判断を公共報道機関の経営者の自主的認定に一任した総司令部当局によつて、賞讃を得るに至つたのであつて、この事実に顧みるも、そこには、自主的判断の正当性を見出されこそすれ、かかる至上命令に便乗した不当労働行為的なものは、毫末もなかつたのである。なお当時の客観的情勢は、被解雇者より弁解を聴取する自由は勿論認められなかつたのであるが、控訴会社が具体的資料を有しながらも、個々の解雇事由の公表を今日に至るまで極力差控え来つたのは、一に被解雇者の利益擁護に資せんとする意途に出たものである。

第二、控訴会社が被控訴人両名を、共産主義者またはその支持者と認めるに至つた具体的事実の一、二について

(A)  梶谷関係

(一)、(原判決事実摘示該当部分(A)の(イ)の事実に附加して)梶谷が大阪商科大学を退学するの已むなきに至つたのは、同人が昭和七年七月に共産党運動に参加したことを理由に検挙せられたがためであるが、後に至り復学が認められたのは、同人のその後の思想的傾向の如何によるものではなく、専ら同大学の教育的見解に基ずくものであつた。

(二)、(同上(A)の(ト)IIIの事実に附加して)所謂五、三〇事件に際し、梶谷が大西兼治等の為の救援運動に狂奔したのは、一面全朝日労働委員長たる地位に於て行動したものであらうが、他面そこには同人の個人的思想傾向に原因するもののあることを、容易に看取せられるのであつて、常に全新聞朝日支部委員長村岸義雄等と連携の下に積極的に活動し、全朝日労組を動員せんとして本部情報を地方支部に通報し、また東京本部役員東京支部役員より成る合同拡大委員会において、労組本部の名の下にこれが決定をなさんとしたるも、その間大阪支部等の反対にあうや、目標を大西兼治一人に変更すると共に、中心を自己の威令の行い易い東京支部に移して、所期の目的達成を図つたのであつた。しかも右五、三〇事件は共産党の組織的非合法活動の第一歩として内外共に注目を集めた著名事件であつて、その重大性は控訴会社従業員一同の熟知しておるところであり、さればこそ当時共産党の影響下にあつた全新聞朝日支部は必死の救援活動を続行したにかかわらず、朝日労組は全く行動を共にせず、又梶谷の努力も及ばずして全朝日労組の大部分は同委員長の方針に同調せず、この結果全新聞朝日支部所属の大西兼治に対する再審による減刑嘆願の署名者は、控訴会社従業員六千余名中僅々百名乃至百二、三十名に止つたのである(三枝重雄の証言参照)。右の事実からすれば原審判決の説示する如く、梶谷の行動が「あくまでも友誼団体あるいは同僚社員たる大西及びその家族に対する同情の念に基ずく」当然の結果とは理解できぬところである。

(B)  小原関係

(一)、(同上(B)の(ロ)IIIの事実と関連して)改造社事件に関するインボデン警告について原審判決は、総司令部当局の警告の当否を判断するに足る具体的資料がない旨の前提の下に、結論的に控訴会社が小原の「取材活動或は思想傾向について総司令部とその見解を異にしていたことを推認するに難くない」と認定している。しかしながらインボデン警告は、改造社からの報告もCICからの報告も全く一致しておつて、小原が同会社幹部に威嚇的な言辞を用いた事実等に鑑み、共産分子と見られることを控訴会社に告知しておる(原判示参照)のである、当時インボデン氏に面接した控訴会社代理としては、突然且重大なる警告であり、これに対し適切なる応答ができず、所謂「お茶をにごす」結果になつたのは理の当然であり、控訴会社もまた万一の場合その波及する影響等を考慮の上、小原に対し適当なる時機に最小限度の処置をするに止めたのは、已むを得ぬところであつて、このことから右警告の具体的判定事実なしとか、見解を異にしていたと認めるのは失当であり、占領下にあつた当時の状況よりすれば、寧ろ一応適切なる資料ありと解すべきである。しかして右インボデン氏の小原に対する指摘は、当時単に公式警告として告知されたに止まつたが、その指摘事実は前記マ書簡の完全実施という至上命令の履行に当り、当然控訴会社を拘束するものと解すべきであり、さらばこそ本件解雇者中に小原の氏名が見出されたとき、総司令部を代理するインボデン氏がこれに満足の意を表したのである。これを逆説的に云えば、本件解雇者名簿に小原の氏名が洩れていたとすれば、控訴会社はその事実によつて命令違反の責任を、総司令部より追及されたものと思料されるところである。

(二)、更に原審判決は、控訴会社の主張する小原の言動が、その当時として直ちに控訴会社より反対ないし忠告されなかつたこと(例えば東宝事件、NHK事件)を理由として、この点に関する控訴人の主張を排斥しておるが、進藤次郎の証言によつて明らかな如く、新聞社の機構運営に徴すれば、第一線取材者の報告ないし情勢判断は、特別の理由なき限り監督者として反対するに由なきものであるから、結局その後現れた結果において、その当否が結論づけられるに過ぎぬのである。また新聞記事が訂正されるのは正不正の如く明白に誤りのあつた場合が殆んどであつて、当不当の如く必ずしも明白に誤つたというのでなく、若干一方に片よつた場合の如きは、これを経過記事によつて訂正するのを常とする(例えば改造社事件)のであるから、この点からも小原の取扱つた記事自体を基として、本件解雇の当否を判定することは出来ない。と述べ、

た外は原判決事実摘示と同一であるから、これをここに引用する。(証拠省略)

理由

当裁判所は左記の点を附加する外は、原判決理由の説示をここに引用し、これと同一理由によつて被控訴人両名の本訴請求(被控訴人等は請求の趣旨として控訴人が被控訴人梶谷善久に対し昭和二十五年七月二十八日附で、被控訴人小原正雄に対し昭和二十五年八月一日附でなした各解雇の意思表示の無効であることの確認を求める旨表示しているが、右は結局右意思表示による解雇が法律上無効であるから、控訴人と被控訴人両名との間に現在なお従前の雇傭関係が存在することの確認の裁判を求めている趣旨と解すべきである)は、いずれも正当としてこれを認容すべきものと判断する。

当審における双方当事者の主張並びに新たな証拠調の結果に鑑み、当裁判所は以下数点につきその見解を附加することとする。

一、本件につき日本の裁判所に裁判権がない旨の控訴人の主張を排斥した原判決理由一に示す判断は、結局昭和二十七年四月二日最高裁判所大法廷決定の判旨に従つたものであり、当裁判所もこの見解を支持するものであつて特に附言することもない。

二、被控訴人等は、昭和二十五年七月十八日附マツクアーサー元帥書簡は「アカハタ」の無期限停刊だけを指令したものであつて、一般報道機関には適用がないものであるとし、その理由について縷々詳説しているが、前示書簡による指令の趣旨は単に「アカハタ」等の発行停止のみに局限したものでなく、一般に控訴人のような公共の報道機関から共産主義者またはその支持者を排除すべきことを要請した直接の指示であると解すべきことは、原判決理由中四十八頁五行目以下において引用する同判決理由四十一頁八行目以下四十四頁九行目までの説示(原判決が前掲裁判権の有無に関する判断の前提として説示した部分)のとおりであつて、被控訴人等主張のような理由を以てしてはこの判断を左右するに足りない。

三、被控訴人等は、(前示マ書簡が一般に公共の報道機関から共産主義者またはその支持者を排除すべきことを指令したものとしても)日本国憲法はポツダム宣言にもとずくものであり、間接管理の基本原則として連合国が承認しているものであるから、この憲法の条規に反する連合国の直接間接の指令はあり得ず、これにもとる指令は無効であると主張する。

なるほど占領中の日本における連合国の管理は、原則として間接管理の方法をとつていたのであるが、このことから直ちに占領中連合国最高司令官の発する一切の命令指示も、日本国憲法の拘束を受けることを承認されていたものとは解し得ず、昭和二十年九月二日降伏文書五項、同日連合国最高司令官指示一号一二項により、日本の国家機関及び国民が連合国最高司令官の発する一切の命令指示に誠実且つ迅速に服従する義務を有し、従つて連合国の管理下にあつた当時にあつては、日本国の統治の権限は、一般には憲法によつて行われていたのであるが、連合国最高司令官が降伏条項を実施するため適当と認める措置をとる関係においては、その権力によつて制限を受ける法律状態に置かれていたものであつて、日本国憲法その他の国内法令も右指令に牴触する限りにおいてはその適用を排除されるものと解するのは当然である。

ただ平和条約発効後日本国が完全な主権を回復した今日、行為時(本件にあつては前示マ書簡による指令及びこれにもとずいてなされたという解雇の意思表示のあつた時)にいかなる憲法外の法的規範が横行していても、裁判時の我が国法に照らして前示指令の効力、ひいて本件解雇の効力を判定すべきであるとする被控訴人等の主張につき、一言する。

本件においてはわが国がまだ完全な独立主権を回復しなかつた被占領期間中において、前示連合国最高司令官の指令にもとずいてなされたという解雇の意思表示の効力が、争となつているものであつて、かかる指令がなお効力を有するものとして、平和条約発効後これにもとずいてなした解雇の意思表示の有効無効が、争の対象となつているものでないことは極めて明白であるから、右指令にもとずく本件解雇の意思表示の効力を判断するには、右解雇の意思表示のあつた当時(行為時、即ち占領期間中)における前示指令のわが国法上の効力如何を前提としなければならない。一般に民事上の法律行為の有効無効については、他に特別規定のない限り行為当時の法令に照らし判定すべきことは、民事実体法規適用の根本原則であつて、この点後記刑事訴訟において犯罪後の法令により刑が廃止された場合に、免訴の言渡をなすべきものとされているのとは全然その根拠を異にする。所論引用の最高裁判所の判決中四裁判官の意見によれば、昭和二十五年六月二十六日附及び同年七月十八日附連合国最高司令官の指令の内容は憲法第二十一条に違反するとせられ、政令第三二五号もまたこの指令に対する違反を罰する限りにおいて違憲であつて、平和条約発効と共に失効したもの(占領中は憲法外において法的効力を有していたもの)とし、右政令違反被告事件については原判決後の法令により刑の廃止があつた場合に準じ、免訴すべきであると謂うにあつて、前示指令の内容が日本国憲法第二十一条に違反し、少くとも平和条約発効後の今日その効力を認むべきでないとする点について右判決を引用しているものと解されるが、刑事裁判において前示の場合、裁判時(平和条約発効後)のわが国法に照らし前示指令、ひいてこれに関する政令第三二五号の違憲無効を理由として、免訴の言渡をしているのであるから、民事訴訟においても裁判時の、わが国法に照らし前示指令の効力を判定した上で、これにもとずいてなした本件解雇の効力を判断すべきであると主張するのであれば、それは聊か見当違いであろう。なお憲法違反に関する限り民事訴訟においても、裁判時の法令に拠るべきであるとする論も首肯できない。

要するに本件においては、問題となつている解雇の意思表示のあつた昭和二十五年七月二十八日及び同年八月一日当時における前示指令の、わが国法上の効力如何を前提として、本件解雇の効力を判断すべきことは疑のないところである。

四、控訴人が当審において特に強調する前掲事実摘示第一の(一)ないし(四)の主張について、(マ書簡の指令に対し控訴人のとつた実施措置と不当労働行為の成否)

昭和二十五年七月十八日附のマ書簡による指令があつた後間もなく、同月二十四日、控訴会社社長外他の報道機関の代表者等が総司令部に出頭を命ぜられ、係官より公共の報道機関から共産主義者またはその支持者を排除すべきことは、右書簡の趣旨であることを示唆せられ、右共産主義者またはその支持者なりや否やの具体的判断は、経営者の自主的判断に一任するも、右指示に基ずく解雇の処分は早急に実施すべき旨強く要請せられたこと、かような客観情勢の下にあつて控訴会社においても、急ぎ資料を蒐集し役員会の議を経て、被控訴人両名も右指令に該当するものとして本件解雇処分に及んだことの経緯は、当審証人矢島八洲夫(第一、二回)、同高野信、同津田正夫の各証言によつてもこれを窺知し得られるが、原判決も説示する如く、形式的には右指令に基ずく解雇とされていても、その自主的判断を誤り客観的にみて右指令にいう共産主義者またはその支持者に該当しない者を解雇したことは、前示指令の履行の範囲に属するものと解し得ず、従つて本件において被控訴人両名が右該当者でないと判定される以上は、この点に関する控訴人の自主的判断の如何にかかわらず、本件解雇の効力については日本国内法規の適用を排除するものでないことは当然であり、更に当裁判所の引用する原判決認定の諸般の事実に徴して考えると、控訴人が被控訴人両名を解雇するに至つた直接の理由は、形式的には被控訴人両名が右指令にいう共産主義者またはその支持者に該当すると謂うにあるも、その実質においては原判決認定のような被控訴人両名の労働組合における正当な活動を、その主要な根拠としてなされたものと推認するに難くないから、これを目して控訴会社が前示指令を実施するに当り、単にその自主的判断(被控訴人両名が共産主義者またはその支持者に該当するや否やについての)を誤つたに過ぎないものとのみは解し得ず、本件解雇を不当労働行為と認定する妨げとなるものではない。当審における新たな証拠調の結果に徴するも、この判断を左右し得ない。

五、当審における控訴人主張の前掲事実摘示第二(A)及び(B)の主張について(控訴会社が被控訴人両名を共産主義者またはその支持者と認めるに至つた根拠とする具体的事実に関するもの)。

控訴人が被控訴人両名を前示指令に所謂共産主義者またはその支持者に該当すると認めた根拠として主張する具体的事実の有無、及び右認定事実を基礎として右両名を共産主義者またはその支持者と認定するを相当とするや否やについての判断は、当裁判所の引用する原判決理由の二、(A)及び(B)(原判決五十頁十行目以下七十七頁八行目まで)に詳細説示するとおりであつて、この上更に附言する要もないと思われるが、控訴人は当審においてこれら事実の認定について論難するところがあるから、当裁判所の見解を述べる。

(A)  梶谷関係

(1)  梶谷が昭和七年七月大阪商科大学を退学するに至つたのは、控訴人主張の如く学内の盟休事件に関与したという外に、共産党運動に参加したという嫌疑で検挙されたことも、その一因であつたにせよ、またその後間もなく復学を許可されたのは、同大学の教育的見解に基ずくにせよ、検挙後間もなく釈放されたことは原判決の認定に照らし明らかであり、昭和七年頃の共産主義弾圧の時代的背景の下に復学を許されたこと自体に徴しても、その思想的傾向が将来も危険視される程のものでもなかつたことを裏書するものというべく、いずれにしてもこの事件は約十数年前のことに属し、控訴会社も既にこのことを知り調査の上同人を採用したことは原判決認定のとおりであるから、控訴人の前記主張(退学の理由及び復学の理由について)を前提として考えても、この点を捉えて本件解雇当時同人を共産主義者またはその支持者と断定するほどの資料となるものではない。

(2)  梶谷が所謂五、三〇事件に際し大西兼治等のため救援運動をした経緯については、原判決理由二、(A)の(ヘ)(原判決五十三頁四行目以下)及び同(F)(同六十頁三行目以下)に説示してあるとおりであつて、当審で新たになされた証拠調の結果に徴するも、到底前示認定を覆えし、この点に関する控訴人の主張を肯定することはできない。

その他控訴人の当審において新たに提出援用する乙第三十六号証の一ないし五(「朝日短歌」所載の梶谷善久短歌、その成立につき当事者間争がない。)によれば、右梶谷の思想的傾向の一端を窺知できないでもないが、これを以てしても決して過激な破壊的思想を抱懐するものとは考えられず、同人を目して共産主義者またはその支持者に該当するものと断定する資料となるものではない。

(B)  小原関係

(1)  改造社事件に関するインボデン警告は、改造社からの報告もCICからの報告も全く一致しておつて、小原が同会社幹部に威嚇的な言辞を用いた事実等に鑑み、共産分子と見られることを控訴会社に告知していることは、原判決も認定しているとおりである(原判決六十五頁一行目以下(ル))。しかし控訴人主張の如くいかに占領下にあつた当時の情況の下においても、単に右警告においてかかる告知がなされているというだけでは、直ちにその警告の内容が真実であるとする適切な資料ありと解すべき何等の根拠とはならないのみならず当裁判所の引用する原判決は前示認定と関連して、その理由二、の(B)の(J)(原判決七十一頁五行目以下)においてその引用の証拠により、右警告に指摘されたような具体的事実のなかつた諸般の情況事実を認定しているのである。

また控訴人は原判決が「小原の取材活動或は思想傾向について総司令部と見解を異にしていたことを推認するに難くない」と判示している部分(原判決七十三頁参照)を捉えて、インボデン警告を受けた控訴会社が、万一の場合その波及する影響等を考慮の上、小原に対し適当な時機に最少限度の処置をするに止めたのは已む得なかつたことであるとし、このことから、かかる推認を下すのは不当であると非難するが、原判決の右判示はその前段認定の諸々の情況事実全体を総合しかく推認したまでであつて、決して右インボデン警告に際し控訴会社の小原に対する措置如何の点のみから、結論したものでないことは、その判文に照らし明らかであり、右判断も正鵠を失はない。

また控訴人は、前示インボデン警告に指摘された事実は、本件マ書簡の完全実施という至上命令の履行に当り、当然控訴会社を拘束すべきものと解すべきであるという。しかしインボデン警告は昭和二十三年十二月のことに属し、本件マ書簡の発せられたのは昭和二十五年七月である。両者は時期的にみて相当の隔りがあるのみならず、マ書簡その他これに伴う占領軍当局の指示においては「共産主義者またはその支持者」なりや否やの認定は、経営者の自主的判断に委されていたことは前認定のとおりであり、この指示において被控訴人小原が特に右に該当するものとして指名されたという何等の証拠もない本件においては、前示インボデン警告があつたという一事を以て、控訴会社がマ書簡の指令の実施に当り被控訴人小原に関する限り、右自主的判断の自由もなく、当然これが拘束を受けるものと解すべき根拠となし難い。本件解雇後インボデン氏がその措置に満足の意を表したことがあつたとしても、この解釈を左右し得るものでない。

(2)  原判決はその理由二、(B)の(H)及び(1)(原判決六十九頁及び七十頁)において、東宝の労働争議事件及びNHK演出係の婦人組合員罷免問題についての小原の取材活動について、同人が当時控訴会社から注意を受けたことのなかつた事実を認定説示している。控訴人はこの点を捉えて、新聞社の機構運営に徴すれば第一線取材者の報告ないし情勢判断は、特別の理由なき限り監督者として反対するに由なきものであるから、結局その後に現われた結果においてその当否が結論ずけられるものであるとし、前示忠告の有無によつて小原の取材活動に関する控訴人の主張を排斥したのは、失当であると論難している。しかしこれらの点に関する原判決の説示は、控訴会社から小原に対しその取材活動について注意をした事跡のないことばかりでなく、その他引用の証拠により、小原の取材活動ないし執筆態度が著しく左傾したものと認められない諸般の事実を認定し、これに反し当時東宝株式会社または放送協会長から、控訴会社になされたという、苦情ないし抗議の基礎となつた具体的事実については、これを肯認するに足る証拠なしとして控訴人の主張を排斥したものであることは、判文上明らかであるから、控訴人のこの主張も当を得ない。

また控訴人は、原判決が小原の取扱つた記事自体を基として本件解雇の当否を判断したのは、失当であると非難するが、これまた原判決は、小原の取扱つた記事自体のみを基礎として本件解雇の当否を判定したものでないこと極めて明白であるから、この主張も採用できない。

なお控訴人が当審において新たに提出し、当裁判所がその原本の存在及びその成立を認める乙第三十七号証の一によつても、被控訴人小原が従来組合活動を通じ控訴会社と対立的立場をとつていたことを認め得るが、このことから直ちに同人を目して共産主義者またはその支持者と認める資料とはなし難い。

以上説示の理由により、被控訴人両名の本訴請求を正当としてこれを認容した原判決は相当であるから、民事訴訟法第三百八十四条に則り本件控訴を棄却すべく、控訴費用の負担につき同法第八十九条第九十五条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 斎藤直一 菅野次郎 坂本謁夫)

参照

原審判決の主文、事実および理由

主文

被告と原告両名との間に、各従前の雇傭関係が存在することを確定する。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、被告が原告梶谷善久に対し昭和二十五年七月二十九日付にて、原告小原正雄に対し、昭和二十五年八月一日付にてなした各解雇の意思表示は、いずれも無効なることを確認する。訴訟費用は被告の負担とするとの判決を求め、その請求原因として、被告は、大阪本社のほか、東京本社、中部本社、西部本社等の支店を有して「朝日新聞」の発行その他の出版活動を営む株式会社であり、原告両名はいずれも被告会社の従業員として、右東京本社に勤務していたものであるが、被告は、原告梶谷に対しては、昭和二十五年七月二十八日に同小原に対しては、同年八月一日に、「マツクアーサー元帥が昭和二十五年七月十八日付吉田内閣総理大臣宛書簡において、アカハタ無期限停刊を指令するとともに、今日の如く自由世界の諸軍隊が国際的共産勢力の暴力に対して闘つている状況下においては、報道機関は、自由のための闘争において、最も重大な責任を課せられている点を強調して一般の報道機関に対しても、その組織から一切の共産党員とその支持者を排除すべきことを示された」ために、被告会社の従業員中の共産党員及びその支持者は同社の就業規則第四十五条第六号に所謂「止むを得ない社務の都合によるとき」は返任するとの条項に該当することになるから、退社の措置をとるということで、原告両名に対して解雇の意思表示をした。

しかしながら、右解雇の意思表示は、左記のような理由により無効である。即ち

(1) 前記マ元帥書簡は「一般の報道機関に対してその組織から、一切の共産党員とその支持者を排除すべきこと」を示しているものではない。

従つて、本件解雇は、マ元帥の書簡を曲解し、悪用した不当解雇である。

(2) 被告会社の就業規則第四十五条第六号中には、信条を理由とする解雇は含まれないから、本件解雇は同号に該当しない。

(3) 日本国憲法第十四条は「信条」を理由とする差別待遇を禁止する。而して政治的信条は、この「信条」の中に含まれるのみならず、その最も重要な信条とされる。そしてこの差別的取扱を禁ずる憲法の保障は、国民の国家に対する権利であるけれども私人間においてこれが侵されるにおいては、国家の国民に対するこの保障をなすよしがないので、たとえその差別的取扱が私人間で行われても、民法第九十条に違反し、従つて本件解雇は無効である。

(4) 労働基準法第三条は、憲法第十四条の趣旨を具体化した規定であるが、特定の政治的信条を理由として、解雇するとの解雇基準は同条に違反する無効な基準であり、従つて、その基準による解雇も無効である。

(5) 憲法第十九条は、思想及び良心の自由を保障し、同第二十一条は結社の自由を保障する。もしある思想をもち、又はある結社に加入することを理由に解雇されるものとするならば、その者は家族とともに生活の途を奪われる。このことは現代の公知の事実である。かくては思想の自由も、結社の自由も空文となるであろう。これは憲法の精神に反することであるから、ある思想をもち、ある結社に属することによつて解雇することは、民法第九十条に違反し無効である。

(6) かりに、被告の解雇理由を是認するとしても、原告両名はいずれも共産党員でも、その支持者でもないのであるから、本件解雇はその実質的理由を欠き無効である。

(7) 原告両名はいずれも従来組合の枢要な地位にあり、本件の解雇当時、全朝日新聞労働組合に所属していたものである。従つて原告等に対する本件解雇は、同人等が組合役員として正当なる組合活動をしたことを理由とする解雇であるのみならず、労働組合を弱体化するための解雇と考える外ないから、かゝる解雇は、労働組合法第七条第一号、第三号に違反し、無効である。かくの如く、被告の原告両名に対する本件各解雇の意思表示は無効であるから、同人等は現在なお被告会社の従業員としての地位を有するにかゝわらず、被告はこれを争うので、右各解雇の意思表示の無効なることの確認を求めると述べ、被告が原告両名を共産党同調者と認めるに至つた具体的事実として主張するところについては、

(A) 原告梶谷について被告主張の

(イ) の事実は否認する

(ロ) の事実は不知である

(ハ) の事実中、同人が東南アジヤ関係の原稿を執筆したことは認めるが、その余の事実は否認する。却つて東南アジヤ関係その他について四回編集局長賞を受けている。

(ニ) の事実中、日本ジヤーナリスト連盟員であることは認める。右連盟は当初情報交換から出発し、後には単なる親睦団体にすぎなくなつたので、これという仕事もしていない。これには各新聞社の相当上位にある者が加入しているが、原告梶谷はあまり右連盟の会合に出席したこともなく積極的分子ではなかつた。

(ホ) の事実については、新聞単一及び分裂前の全新聞は、被告会社の全労働者によつて組織された唯一の組合である。組合員中共産党員もいたが、組合は共産党によつて支配されていない。

(ヘ) の事実は否認する

(ト) Iの事実中、ともに組合役員として、同人を知つていたこと、被告主張のような歌を霊前に捧げたことはあるが、同人と親交があつたという点は否認する。

IIの事実中、谷部浅野等と志賀高原の被告会社寮え行つたことは認めるが、これは同原告が同人の弟妹その他十名位の者と同行して谷部からスキーのコーチを受けたもので特に右両名と親交のあつたことを示すものではない。

IIIの事実中、大西兼治と親交があつたという点は否認する。

(B) 原告小原について、被告主張の、

(イ) の事実中、勤務、経歴に関する部分は認めるが、同人が取材活動について上司から注意をうけたという点は否認、その余の事実は不知である。

(ロ) Iの事実は不知である

IIの事実中放送関係記事を取扱つたことは認めるが、抗議のあつたという点は不知である。なおこのニースは、右原告が探知したので、職制に執筆の可否を相談したところ、執筆を命ぜられたものである。

IIIの事実中。改造社関係の記事に関連してインボデン少佐が被告会社の門田、進藤を招致したことは認めるが、その会見内容は不知

IVの事実中文化団体担当に変つたことは認めるが、特殊な文化活動の材料に沒頭したとの点は否認する。

Vの事実は否認する。

VIの事実中加藤委員長を迎えた点は認めるが、同原告が民同派の人達の密談に割込み、忌避されたという点は否認する。

(ハ) の事実は否認する。

(ニ) の事実は否認する。

(ホ) の事実は不知であると述べた。(立証省略)

被告訴訟代理人は「原告の訴を却下する」或いは、「原告の請求を棄却する」との判決を求め、答弁として、

一、連合国最高司令官の昭和二十五年七月十八日付吉田首相宛書簡並びにこの書簡に引用された同年六月二十六日付同年六月七日付及び同年六月六日付各書簡の法的性質をその具体的内容及び当時の客観的状況について、詳細に検討するときは、これらの書簡は単に日本政府に対し、「アカハタ」の発行停止並びにその編集首脳者の追放を命じたのみでなく、進んで被告を含む、公共的報道機関に対してもその機構から、共産主義者及びその支持者をば排斥すべきことを要求しているのであつて被告はこれに従うべき法律上の義務を負うものと解すべきのみならず、更に右各書簡が発せられた後に、権限ある関係当局より被告に対して重大な示唆が与えられたため、被告は原告等をふくむ共産主義者及びその支持者を解雇するに至つたのであるから、本件解雇の意思表示は、連合国最高司令官から公共報道機関の経営者に対して与えられた至上命令に即応するために行われたものであつて、このことは、その後右同年八月三日に、総司令部民間情報教育局長ニユージエント中佐が、その声明において被告等のとつた措置が、前記七月十八日付連合国総司令官の書簡の趣旨に合致することを確認したことによつても明らかである。ところで、昭和二十五年七月二十五日に行われた。連合国最高司令官と最高裁判所係官との会談の結果によれば、アカハタ及びその後継紙の発行を停止する処分の取消変更を求める訴訟並びに右処分が違法であるとする争訟については、公職追放に関する争訟と同様、日本の裁判所に裁判権がないことが確認されたのであるから(裁判所時報六十三号一頁以下)本件についても右の趣旨に則り、日本の裁判所に裁判権はないものといわざるを得ず、従つて本件の訴はこれを却下すべきである。

二、かりに、本件の訴について、日本の裁判所に裁判権がある場合においては原告等の主張事実中、被告会社の組織(但し中部本社でなく中部支社である)営業目的に関する点、原告両名が被告の従業員として勤務していた点、並びに被告が原告両名を解雇するに至つた経過に関する点はいずれも認めるが、その余の事実は不知である。しかしながら、

(i) 昭和二十五年七月十八日付の前記連合国最高司令官の内閣総理大臣宛書簡は、既に一、において摘示したとおり、共産主義者が国際情勢に対応して、日本国内においても無秩序えの煽動に狂奔している現状に顧み、連合国最高司令官が被告を含む公共報道機関の経営者に対して、直接その機構より共産主義者乃至その支持者を排除することを命じたもので、被告は一九四五年九月二日付、連合国最高司令官指令第一号にもとずき右書簡による命令を誠実且迅速に遵守実行する義務を負つているのである。而して、原告両名に対する本件解雇の意思表示は、同人等についてそれぞれ後記のような事実が存在しこれらの事実によれば、同人等をいずれも共産主義者又は、その同調者と認めざるを得なかつたことによるものであるから(この認定は関係方面においても是認された)このように連合国最高司令官の指令を履行するために行われた本件解雇につき、日本国憲法その他これにもとずく一切の国内法規や労働協約などがその適用を排除されることは、右指令第一号及び一九四五年七月十一日極東委員会採択の日本に対する降伏後の基本政策第二部(2)に徴し疑がなく、従つてこれらの法規に違反することを内容とする原告の本訴請求はこの点において理由がない。原告両名を共産主義者又はその支持者と認めるに至つた具体的事実としては、

(A) 原告梶谷については、

(イ) 大阪商大在学中昭和七年一月、学外の共産党と結び、学内に糾した盟休事件に関与し、その指導的役割を果した。その際事件は一応落着したが、同年六月共産党運動関係者として検挙され、起訴猶予となり、その結果、家庭の都合という名目で退学することとなつた。

(ロ) 昭和二十三年八月その筋より、被告会社(大阪本社)に対し、同人を共産党分子の一人として指摘された。当時同人は、既に東京本社え転勤した後であつたが、指摘されたのは大阪本社の関係であつた。

(ハ) 昭和二十四年頃から、朝日新聞本紙ならびに週刊紙アサヒニユースなどに書く、同人の原稿、殊に東南アジヤ関係のものが漸次尖鋭的となり職制より度々注意をしたにかゝわらず、次第にそれが顕著になりあらわに又は、行間に左翼民族戦線の色彩を織り込む傾向が強くなつた。職制ならびに編集者は最も油断ならぬ原稿として、常に充分なる注意をもつて朱筆を入れ、または修正穏和をなしたが、その時同人は不服を表明し、原文回復を主張した事実が度重なつた。

(ニ) 同人は共産党文化活動の主翼である日本民主主義文化連盟の有力加盟団体たる日本ジヤーナリスト連盟のメンバーである。

(ホ) 同人は昭和二十二年一月より七月まで日本新聞通信放送労働組合(通称新聞単一)の大阪支部機関紙部長、同二十三年六月より十一月まで、全日本新聞労働組合(通称全新聞)の機関紙部長であつた。而して、新聞単一は産別傘下にあつて同様指導的地位にあり、全新聞は全労連傘下にあつて同様指導的地位をしめ、両者とも共産党の影響力の濃厚であつたことは周知の事実である。

(ヘ) 昭和二十五年のいわゆる五、三〇事件に際して、全新聞朝日支部員である、届出共産党員大西兼治が連座するや、その救援のため所属組合の異なるに拘らず、卒先全朝日新聞労働組合(以下全朝日と称する)本部の執行委員長として、全新聞朝日支部執行委員長村岸義雄とともに、救援署名運動、資金カンパを共同で開始ししかもこれほどの重大な問題を本部執行委員会にもはかることなく、これを実行したことは、梶谷個人の思想を裏書するものである。

(ト) 同人は社内の共産党員と親交があつたが、それを裏書する事実として、次の如きものがある。

I 社内有力党員で病死した、被告会社活版部員本江信逸と親交あり、その霊前に左のような歌をよんでいる。

テント打つ風強ければ、おのづから

インター斉唱高まり来る

くれないの組合旗風にはためけど

君の姿は見るによしなし(外数首あり)

II 昭和二十四年二月中旬同人は志賀高原にある、被告会社寮に谷部晋一、厚生部員淺野澄江両名と共に赴き、数日間滞在している。この二人は何れも届出共産党員であり、特に谷部は朝日細胞の代表者として届出を行つている責任者であり、淺野も同細胞の有力なメンバーである。

III 五、三〇事件に連坐重労働十年の刑に処せられた共産党員大西兼治とは親しく、事件後右原告は、全新聞機関紙に大西のために一文を草し、「みじんも悪気のない好青年」とうたい救援をといている。

(B) 原告小原については、

(イ) 同人は、昭和十一年に、入社して後、主に被告会社東京本社編集局に勤務し終戦後社会部所属として、労農関係等を担当していた。従来よりその思想傾向は左翼的であり、特にその取材活動については、左派から出たものに偏する傾向が色々の機会に職制側に看取されていた。その関係した取材先からも、「小原記者の態度は一見公正のように見せかけているが、その実非常に意地の悪い取材報道をしている」と指摘されたことも度々あつた。殊に国鉄民同の結成えの動きが高まりつゝあつた昭和二十三年から二十四年にかけて、民同側からは、小原記者の取材態度について、同趣旨の指摘があり、「どうも小原君が情報を左に漏らすのではないか」と被告会社に抗議を申入れている。この傾向は不偏不覚絶対公正を期する朝日新聞本来の編集方針に背くおそれがあるものなので、当時の編集局長、同局次長は直接所属の社会部長に対し、小原記者の取材したものについては、特別に注意を払うよう、また本人にも充分注意を与えるよう指示した。社会部長は、更に社会部の役職者にも伝達し、小原の原稿は、常に特別注意深く検討したうえで、編集関係者え渡すこととし、また小原の持ち来る情報の扱いは特に慎重にし、同時に小原以外より入手する重要情報等は、小原には扱わせぬよう、注意を怠らなかつた。

(ロ) しかもなお、つぎのような問題が引起された。

I 昭和二十二年十二月より昭和二十三年十月に亘る東宝争議の取扱について、昭和二十三年四月に東宝社長渡辺銕蔵及び同社重役勝田専太郎より、被告会社社会部長進藤次郎に対し、朝日の記者の取材態度の不公正を抗議し、「朝日の記者で共産党の廻し者のようなのが一人居る」旨話があり、その記者が原告小原なることが確認された。また、昭和二十三年十月二十日、東宝重役馬渕威雄氏が被告会社の、当時の総務局長、矢島八洲雄外二名に対し、争議関係取材につき小原記者には迷惑を蒙つた旨を明言した。

II 昭和二十三年十月二十九日付朝日新聞社会面に、NHK、演出係の婦人組合員、罷免問題に関し、原告小原が取材執筆したがその直後放送協会長古垣鉄郎氏より、被告会社に対し「時期外れの記事を、事改めて問題化するため、取上げたもので、何等かの意図があるものとしか考えられぬ」と抗議があり、被告会社代表より編集局長を通じ社会部の責任者に注意がなされた。

III 昭和二十三年十二月三十日朝、連合国総司令部新聞課長インボデン少佐より、被告会社に対し、編集局長社会部長並びに社会部員小原正雄の三名に出頭命令があつた。小原は、休暇旅行中のため、編集局次長門田勳、社会部長進藤次郎並びに通訳として編集局付鈴木乾三の三名が同日十一時、同少佐を訪れたところ、同少佐は、「本日は公式の場合につき通訳は当方でさせる」とて鈴木通訳を排し特に新聞課の大野通訳を介して、当時争議中の雑誌改造の紛争につき原告小原は取材のためと称して、改造社の共産党分子の主張を支持した上、会社の幹部に威嚇的言辞を弄した事実を強く指摘し、「小原は明らかに共産分子と見られる。このことについては会社からの報告も、CICからの報告も全く一致している」旨の言明があり、被告会社に重要な警告が与えられた。

IV かゝる事情のため、昭和二十三年秋頃より編集局長、社会部長、社会部次長の間では、同人を適当な機会に同人の取材上の持場を、思想的偏向が影響を持たぬような部署に移すべきであるとの話が進められ、昭和二十四年三月労農関係の担当をやめさせて、文化団体関係を担当させることにした。しかしその後も、同人はとかく、労農方面に興味をもち、特殊な文化活動といつた材料にのみ熱中する傾向がみられ、社会部デスクでもその点を注目していた。

V 昭和二十四年一月始め、当時の編集局次長門田勳は原告を自室に呼び、各方面から、取材活動について物議をかもしているので、十分注意するよう、この上どうしてもいけなければ、何らかの処置をとるもやむを得ない趣旨を伝えて厳重に警告した。

VI 昭和二十四年七月十七日午前三時頃、国鉄組合加藤委員長がジユネーブのILO大会から帰京したので、被告会社は、同氏に原稿依頼の関係もあり、早暁同氏を編集局長室に迎えて歓談したが、当時三鷹事件直後で、国鉄組合内部は、左右両派の間に微妙な問題をはらむ最中であつたため、深更にかかわらず民同派から寺山源助、片岡文重、らが打合せのため、加藤氏を呼びに来社し、一階裏玄関で同氏をかこんで密談中、原告小原がその中に割り込み、聞き耳を立てるような態度を見せるや、民同派の人達は、忽ちこれをさえぎり「君困るよ、小原さんには随分ひどい目に合わされているんだ」と強く忌避された事実がある。当時小原は、既に組合関係担当を離れており、当夜たまたま社に居合わせたもので、取材など命ぜられたものではなかつた。

(ハ) 社会部長進藤次郎は二回に亘り、原告に対して、その左翼的傾向を注意するため個人的に懇談したが、その際小原は、自分は文科出身で、マルクスの資本論は読んでいないが、自分は、マルクス主義が良いと確信しているんだと断言し、いろいろの点で追及を受けると「見解の相違だ」とて何ら考をかえるようなそぶりも見せなかつた。

(ニ) 昭和二十四年八月頃同僚たる社会部員川手泰二が、同原告の思想傾向、その言動、記者活動等一向に改められずひたすら左翼的である点を憂慮し、その反省を求めた際「君がそれほどいうなら、一度共産党の伊藤律に紹介しよう。そして若し、君が伊藤律と論争して打ち勝つたら僕も君の忠告に従う」と言つたことがある。

(ホ) 同原告の思想傾向、取材態度が前述の如きものである点は、編集局全職制の見るところ一致しており、小原を社会部より通信部ならびに連絡部に転換のため交渉を部長間でした際、通信、連絡両部長とも、その故をもつて断つた事実がある。

(C) 更に原告両名は、本件解雇直後より協同して、がり版刷りの印刷物「国民と共に」を刊行しており、現にこれを継続しているが、同紙は明白にアカハタ後継紙と目される点があるにかかわらず、右両名は、その発刊に積極的に参加しているのであつて、この点から見ても、原告等が日本共産党の支持者であることが明らかである。

(ii) かりに右(i)の主張が理由なく、本件解雇について、日本国憲法それにもとずく国内法規、或いは労働協約等が適用されるとしても、なお、原告等の主張は、左のように理由がない。即ち、

(イ) I 憲法第三章の諸条項は、ことごとくが国家に対する国民の権利及び義務を規定したと解すべきであつて、国民相互間を律すべきものではない。換言すれば、憲法において認められる基本的人権は、国民がこの保障を国家に要求しているのであつて、この憲法の規定のみによつて、当然且直接に国民のそれぞれに対してかかる権利を主張し要求することは認められないのである。従つて本件解雇につき憲法第十四条を基としてその無効を主張することは失当である。

II 憲法第十三条後段は、基本的人権といえども、公共の福祉に反するときは、これを制限し得ることを明らかにしている。而して、前記最高司令官の書簡は「共産主義が公共の報道機関を利用して破壊的暴力的綱領を宣伝し、無責任不法の小数分子を煽動して、法に背き秩序を乱し、公共の福祉を損わしめる危険が明白」なのであるから、「彼らに公的報道の自由を使用させることは、公共の利益のため拒否されねばならない」と明らかに指摘しているのであつて、これによつて、憲法第十四条は実質的に制限を受ける結果となり、かかる「アカハタ」等に対する命令と同趣旨においてなした、本件解雇は何等同条並びに民法第九十条に抵触しない。

(ロ) I 労働基準法第三条が信条を理由として差別的取扱を禁じて労働条件とは、労働協約の本質的内容をなす、賃金、労働時間解雇の制限等の個々の条件を指称し本件解雇の如き、具体的事実を含まぬと解すべきである。

II かりに然らずとするも、同法第三条は、右(イ)Iにおいて詳述したように、公共の福祉のためには、当然制限されるべきものであるから、現下の社会状態に照らし、最高司令官の命令に基く解雇は、何等違法無效ではない。

(ハ) 原告等は本件解雇が憲法第十九条、同第二十一条の保障を侵すことになるから、結局民法第九十条に違反し、無效であると主張するが、その然らざることは次のとおりである。前記最高司令官の書簡によれば、「日本共産党と一体たる国際勢力は民主社会の平和維持と法規の優越とに対する陰険な脅迫を開始し、暴力によつて、自由を抑圧せんとする目的をもつて至る所の自由国民に危険を感ぜしめるに至つた」のであつて、その目的達成のため、公共の報道機関を利用せんとしているのである。成程、日本共産党は、合法政党であり共産主義を信捧することは禁ぜられていないが、さらばといつて、右の如き客観状勢下にあつて、何等の制限をも受けてはならぬという憲法の保障は、存在しないのであつて、当然憲法第十二条の適用によりその保障を濫用することは認められていないから、前記書簡により占領目的達成の必要上公共の福祉に反するものとして、実質的な制限を受ける結果となり本件解雇がなされたのである。従つて本件解雇は、民法第九十条に抵触せず有效である。

(ニ) 原告等は本件解雇が労働組合法第七条第一号、第三号に違反する不当労働行為として、無效であると主張するが、被告は名実共に原告等個人が組合の役員であること、組合員として組合活動をしたことを理由として、又は組合を弱体化する目的をもつて、解雇したものではなく、いつに前記の如く、最高司令官の命令にもとずく「止むを得ない社務の都合」によつたものであり、しかも前記マ元帥書簡中には、被解雇者の範囲につき、特別の制限がなく、従つて、その地位の如何を問わないから、本件解雇は、何等右同法第七条に違反するものではない。

(ホ) 原告等はいずれも、共産党員或いはその同調者ではないと主張するが、前記最高司令官の書簡並びにこれについての重大なる示唆を綜合して判断するときは報道機関の経営者は最高司令官の命令するところに従つて、その与えられた一定の枠の範囲内においてそれぞれの社内事情をも考慮の上、一定の資料にもとずき、共産主義者又はその支持者を認定し得べきものと解すべきところ、被告会社においては、前記の如く、原告等の職場における日頃の思想傾向言動交友等の具体的事実を基礎とし、確信を以て認定し得たもののみに限つて本件解雇処分をしたのであり、この認定の正当なることは、原告等をふくむ本件による解雇者の氏名が権威ある関係当局に報告済であり且、又かかる処置について全面的に昭和二十五年八月二日付にて、民間情報教育局長ニユージエント中佐の承認と讃辞とを得たことからしても明らかである。と述べた。(立証省略)

理由

一、被告は、原告両名に対する本件解雇の意思表示は、昭和二十五年七月十八日付にて連合国最高司令官から吉田内閣総理大臣宛に発せられた書簡にもとずいて行われたものであるところ、同書簡は、被告を含む公共の報道機関に対して、共産主義者及びその支持者を排除すべきことを命じた連合国最高司令官の直接の指令と解すべきであるから、本件については、日本の裁判所に裁判権がない旨を主張するので、この点について考えるに、連合国最高司令官は、右書簡において「虚偽、煽動的、破壊的な共産主義者の宣伝の播布を阻止する目的をもつた私の六月二十六日付貴下宛書簡以来、日本共産党が公然と連繋している国際勢力は、民主主義社会における平和の維持と法の支配の尊厳に対して更に陰険な脅威を与えるに至り暴力によつて自由を抑圧する彼等の目的について至る所の自由な人民に対し警告を与えている。かかる状勢下においては、日本においてこれを信奉する少数者がかかる目的のために宣伝を播布するため公的報道機関を自由且つ無制限に使用することは新聞の自由の概念の悪用であり、これを許すことは、公的責任に忠実な自由な日本の報道機関の大部分のものを危険に陥れ、且つ一般国民の福祉を危くするものであることが、明らかとなつた。」「現在自由な世界の諸力を結集しつつある偉大な闘においては、総ての分野のものは、これに伴う責任を分担し且つ誠実に遂行しなければならない。かかる責任のうち公共的報道機関が担う責任程大きなものはない。何故ならそこには真実を報道しこの真実に基いて事情に通じ、啓発された世論をつくりあげる全責任があるからである。歴史は自由な新聞が、この責任を遂行しなかつた場合必ず自ら死滅を招いたことを記録している」

「現実の諸事件は、共産主義が公共の報道機関を利用して破壊的暴力的綱領を宣伝し、無責任不法の少数分子を煽動して法に背き秩序を乱し、公共の福祉を損わしめる危険が明白なことを警告している。

それ故日本において、共産主義が言論の自由を濫用して、斯る無秩序えの煽動を続ける限り彼らに公的報道の自由を使用させることは、公共の利益のため拒否されねばならない」と言つている。而してこの書簡は、直接には、日本政府に対し「アカハタ」及びその後継紙並びにその同類紙の発行を無期限に停止する措置をとるよう指令したものの如くであるが、この書簡の右のような内容を、これより前、右同年六月六日同六月七日、同六月二十六日付にて最高司令官より内閣総理大臣宛に発せられた各書簡或いは右同年五月三日付最高司令官の声明の内容及びその発せられた経過に照らして考察すれば、(右の各書簡及び声明の内容は当裁判所に顕著である。)右昭和二十五年七月十八日付書簡は、一般に被告のような公共の報道機関から共産主義者又はその支持者を排除すべきことをも要請した指示にして、しかもこの指示は単に書簡の名宛人たる吉田内閣総理大臣のみならず日本のすべての国家機関並びに被告の如き関係私人をも拘束するものと解せざるを得ないから、この指示を実行するための行政処分或いは法律行為等がすべて、日本国憲法を基本とする法体系に属しない。法規範に則つたものであることは否定し得ないのであるが、占領下における連合国の日本管理は原則として間接管理の方法をとり、例外的に我国の統治権が占領目的に即応して随時に制限される場合を除いては一応我国が全面的にその統治権を行使し得たのであつて、裁判権といえどもその例外たり得なかつたのである。それ故連合国最高司令官の命令又は指示に関する事項であつても、これに関する裁判は特に日本の裁判所がこれを審判することを排除する趣旨が明らかであるものを除き、日本の裁判所にまかされているものというべきである。しかるに、昭和二十五年七月十八日附右書簡又はこれに先立つて発せられた前記各書簡或いは声明の施行に伴つて発生する争訟の裁判権等に関する連合国最高司令官の見解としては、単に前記昭和二十五年六月二十六日付書簡について、同書簡にもとずきアカハタ及びその後継紙同類紙の発行を停止するためにとられた処分の取消変更を求める訴訟ならびに右の処分が違法であることを前提とする民事の訴訟については公職追放の行政処分等に関する民事の争訟についてと同様、日本の裁判所に裁判権がないことが、連合国総司令部係官と最高裁判所係官との会談によつて確認された点(これは当裁判所に顕著な事実である)を除き、他に認むべきものが存在しない。それ故たとえ、本件各解雇の意思表示が右に述べた連合国最高司令官の指示に従つてなされたものであるとしても、これが右の除外例に該当しないことが明らかであり、他にこれに関して、我国の裁判権を排除する特別の理由はないのであるから、この解雇の意思表示の效力に関する民事訴訟事件について日本の裁判所に裁判権がないということはできず、この点に関する被告の主張は理由がない。

二、本案について、考えるに、被告が大阪のほか東京中部西部等に本社又は支社を有して「朝日新聞」の発行、その他の出版事業を営む株式会社であり原告両名がいずれも被告会社の従業員として、右東京本社に勤務していたところ、被告が原告梶谷に対しては、昭和二十五年七月二十八日付にて、同小原に対しては同年八月一日付にて、連合国最高司令官の昭和二十五年七月十八日付吉田内閣総理大臣宛書簡によつて、被告をふくむ一般の報道機関に対してもその組織から一切の共産党員とその支持者を排除すべきことが指示されたからという理由で、被告会社の就業規則第四十五条第六号に則り、解雇の意思表示をしたことは当事者間に争がない。

そこで被告の原告等に対する右解雇の意思表示が、連合国最高司令官の指示を履行するために行われたものとして、日本国憲法をはじめ、その他これにもとずく、一切の国内法規や労働協約等の適用から除外されるか否かについて考える。

而して、連合国最高司令官から、昭和二十五年七月十八日付にて、吉田内閣総理大臣宛に発せられた書簡が、被告をふくむ一般の公共的報道機関に対して、その機関内から、共産主義者及びその支持者を排除すべきことを要請した直接の指示でもあることは、前記のとおりであるから、被告会社の従業員にして、共産主義者又はその支持者である限り、被告がこれを排除するために、解雇の意思表示をしてもこれはとりもなおさず、被告が一九四五年九月二日指令第一号附属一般命令第一号第十二号等に則り連合国最高司令官の指示を実行したにすぎないのであるから、その限りにおいては、日本国憲法その他の国内法規範の適用はなく、従つてこれらの国内法規範によつて解雇の意思表示の效力が左右されることはないものといわざるを得ない。而して右書簡の趣旨に照らせば共産主義者又はその支持者に該当するや否やの具体的判断は、各公共的報道機関の経営者の自主的認定に任せられているものと解すべきであるが、それだからといつて、この認定が全く経営者の自由裁量に委ねられているものでないことも明らかであるから、共産主義者又はその支持者に該当しない者に対する解雇の意思表示は、右最高司令官の指示の履行の範囲に属するものと解することはできず、従つてかかる解雇の意思表示は、これを行うに際しての、被告の主観的認定の如何にかかわらず、日本国憲法並びにそれにもとずく国内法規範の適用を排除し得ないものという外ない。尤も証人鈴木乾三の証言によれば、本件解雇後、被告は被解雇者名をインボデン氏を通じて総司令部に報告したところ、インボデン氏はその処置に満足の意を表し、またニユーゼント民間情報教育局長も声明を発して右処置を賞讃したことが認められるが、これらの事実も未だ右の結論を左右するに足りない。

そこで、原告両名が共産主義者又はその支持者と云い得るか否かについて、被告の主張する具体的事実を見るに

(A) 原告梶谷については、

(イ) 証人矢島八州雄(第二回)同藤田敬三の証言及び原告梶谷本人の供述によれば、右原告が大阪商大在学中であつた昭和七年一月に同学において発生した盟休事件に委員として関与したこと同年七月に共産党運動に関係したという嫌疑で検挙され間もなく釈放されたが、その結果家庭の都合という名目で同大学を退学することになつたこと、

(ロ) 証人矢島八州雄の証言(第二回)によれば、昭和二十三年八月頃、天満署の公安係官が、CICから提示された共産党員及びシンパの氏名の中に同人が含まれているという理由で被告会社大阪本社え調査に来たこと、が認められ

(ハ) 昭和二十四年頃、同原告が朝日新聞及び週間紙アサヒニユース等に東南アジヤ関係の記事を執筆したことは当事者間に争なく証人矢島八州雄(第二回)並びに同市川利次の証言によれば、その間職制が同人の原稿にあらわれる民族主義的共産主義的色彩に注意し、また同人に直接その取扱について注意を促したことのあることが認められ

(ニ) 同人が日本ジヤーナリスト連盟に加入していたことは、当事者間に争なく、被告主張のような証拠物たることについて当事者間に争のない乙第二十五号証、同第二十六号証の一、二同第二十七号証の一、及び三乃至五及び証人矢島八州雄の第二回証言によれば、日本ジヤーナリスト連盟は日本民主主義文化連盟に加盟し、又国際ジヤーナリスト連盟と連携を保ち、更に、日本民主主義文化連盟に対しては日本共産党がその文化活動の一環として働きかけていることが認められ

(ホ) 同人が昭和二十二年一月から七月まで日本新聞通信放送労働組合(新聞単一)の大阪支部機関紙部長同二十三年六月より十一月まで全日本新聞労働組合(全新聞)の機関紙部長であつたこと及び、新聞単一が所謂産別に全新聞が所謂全労連の傘下にあつたことは、原告の明らかに争わないところであり

(ヘ) 乙第二十号証の一、二(五、三〇事件大西救援の掲示写真なることについて当事者間に争ない)及び乙第二十三号証の一、二(大西問題に関する朝日労組東京支部速報及び機関紙の写真なることについて当事者間に争ない)並びに証人三枝重雄同大高修一、の各証言によれば、昭和二十五年五月三十日の所謂五、三〇事件に際して全新聞朝日支部所属の日本共産党員大西兼治が連座するや、翌三十一日付にて、全朝日労組と全新聞朝日支部との連名共同声明が被告会社東京本社に掲示されたこと、全朝日執行委員長たる原告が三十一日夕全新聞朝日支部執行委員長村岸義雄等と共に、朝日労組を訪れたこと、その後軍事裁判所の判決に対して再審を請求した後、全朝日東京支部が大西救援署名運動資金カンパを決定したこと、を認めることができ、

(ト) (1) 同原告が被告会社活版部員本江信逸と交際があり、同人の病死に際してその霊前に被告主張のような歌を捧げたことは当事者間に争なく、同人が日本共産党員なりしことは、原告梶谷本人の供述からも明らかであり、

(2) 昭和二十四年二月中旬同原告が当時被告会社の従業員であつた谷部晋一及び浅野澄江等と志賀高原の朝日寮に赴いたことは、当事者間に争なく、更に右両名が日本共産党員にして、朝日細胞のメンバーなることが、証人矢島八州雄の証言(第二回)によつて認められ

(3) 被告会社の日本共産党員大西兼治が、五、三〇事件に連座して重労働十年の刑に処せられた際、右原告が大西のため全新聞機関紙に一文を草し、同人を「みぢんも悪気のない好青年」と評して、その救援を説いたことは、右原告の明らかに争わないところである。

しかしながら、被告主張事実中、右原告の東南アジア関係の原稿が漸次尖鋭的となり、また行間に左翼民族戦線の色彩を織り込む傾向が強くなつたという点及び原告が職制の原稿修正について不服を表明したという点についてはこれを認むるに足る証拠なく、証人矢島八洲雄同市川利次の各証言中、この点に関する部分は、証人堀江忠男の証言並びに原告梶谷に対する本人訊問の結果に照らし措信できず、また同原告が、被告会社の前社員、大西兼治、本江信逸、谷部晋一或いは淺野澄江と、同僚社員又は組合関係者としての通常の交際以上に、特に思想的に緊密な連携を保つていたような事実を認むるに足る証拠はない。のみならず更に、

(a) 右(イ)の事実については、証人藤田敬三の証言及び右原告本人に対する訊問の結果によれば、大阪商大在学中の盟休事件は何等共産党活動とは関係のない学内問題に関するもので、右原告が盟休委員となつたのは、同人が同大学において組長又は世話役の任にあたつたことから、自動的に行われたものであること、また同人は、退学の際その情状に照らして、後に復学が許可されることが予定され、その後思想傾向に危険が認められなかつたことにより、これが実現されたこと、本件は既に約二十年前のことであるのみならず、被告会社は、右原告を採用するに当つて、既にこれを知り、調査を行なつたことが認められ、

(b) 右(ロ)の事実については、証人泰正流の証言によれば、昭和二十二、三年頃右原告は、大阪にあつて、組合の機関紙部長をしていたが、同人は、共産党員と親しく交わるようなことがなかつたのみか、当時施行された総選挙に際して、共産党支持者の多い中で、社会党を支持する旨表明したようなこともあり、又、当時天皇が関西え行幸された際には被告会社記者としてこれに随行し、その記者活動も妥当であつたことが認められ、

(c) 右(ハ)の事実については、証人市川利次同堀江忠男の各証言並びに原告梶谷本人の供述によれば、右原告が筆の立つ記者として、また特に東南アジア関係を専門の担当分野としていたところから、他の者に比して執筆回数多くその業績に対し数回に互つて編集局長賞が与えられたこと、右原告の執筆する原稿は、その対象上、必然的に民族主義的共産主義的内容をふくまざるを得ないため、一般的にその取扱に慎重である必要があり、前任者についても注意を与えられたことが認められる。もつとも証人市川利次は、編集局長賞の実質は編集局内のアサヒニユース執筆者に対する原稿料であつて、機能的に分配せられたものである旨陳述しているが、証人堀江忠男の証言及び原告本人の供述に照らすと編集局長賞が必ずしもかゝる性質のものに尽きると断じえないことをうかがうことができ、

(d) 右(ニ)の事実については、原告が日本ジヤーナリスト連盟に加入するに至つたのは、現在もなお被告会社に勤務している同僚社員のすゝめに従つたものであり、被告会社からは、右連盟創立当時、原告のみならず十数名の者がこれに加入したこと、右連盟は元来ジヤーナリストの親睦機関として設立され、創立当初は約四百人の会員を擁し、共産党活動とは関係なく、しかも、右原告は、同連盟に名を連ねてはいるものの、その後経費未納者として整理されて、何等見るべき活動もせず現在に及んでいること、等を証人田中敏夫及び右原告本人の供述によつて認めることができ、

(e) 右(ホ)の事実については、右原告が新聞単一、及び全新聞の朝日支部大阪分会の機関紙部長の任にあつた当時においては、これらの組合が、被告会社における唯一の労働組合であり、原告は多数組合員によつてその地位に選任されたものであることが弁論の全趣旨により窺うことができ、

(f) 右(ヘ)の事実については、成立に争のない甲第一号証及び「全新聞」昭和二十五年六月十二日号なることについて争のない甲第三号証、証人三枝重雄、同大高修一の各証言及び原告梶谷本人の供述並びに証人三枝重雄の証言によつて「全朝日」昭和二十五年六月二十日号の原稿の廃棄せる部分なることが認められる甲第二号証及び弁論の全趣旨によれば、五月三十一日附にて全新聞朝日支部並びに全朝日労組の名義にて発表された共同声明は、全新聞朝日支部が全朝日労組に無断で行なわれたもので、その掲示直後全朝日労組の抗議により取消されたこと右原告が全新聞朝日支部委員長等と共に、朝日労組を訪れたのは単に組合の正式決定に先立ち、共同闘争についての各組合の意見を交換するためであつたこと、全朝日本部としてはこの問題について終に結論を得ず、全朝日東京支部が救援署名運動、資金カンパを行なつたのは、同支部の決定にもとずき、独自の立場から行なつたものであること、全朝日労組は五、三〇事件については、機関紙「全朝日」における組合員の意見発表等についてまで、慎重を期し、あくまで友誼組合員或いは、同僚社員たる大西、及びその家族に対する同情の念にもとずき、検束者中、同人に限定して救援活動を行い、右原告もこれと同様な態度を持していたことが窺われる。

(B) 原告小原については

(チ) 同人が昭和十一年に被告会社に入社して以来、主に被告会社東京本社編集局に勤務し、終戦後社会部所属として、労農関係等を担当していたことは、当事者間に争がなく、証人鈴木乾三の証言によれば、昭和二十三年に所謂国鉄民同が新たに結成されるに際して、掲載された被告会社の記事について、当時の総司令部新聞課長インボデン氏より、被告会社の代理の形式で右証人が呼ばれ、被告会社の労農担当記者の取材活動が一方的で事実をまげている旨が指摘されたが、その際右原告の名前も含まれていたことが認められ、

(リ) 聴人進藤次郎の証言によれば、昭和二十三年頃、東宝において労働争議が発生した際、同社社長渡辺銕蔵或いは同社取締役馬渕氏等から、被告会社に対して「朝日の記事がゆがめられているから、注意してほしい」とか「朝日の記者に変なものがいて困る」というような趣旨の苦情の申出のあつたこと、右証人が前任者から社会部長を引継いだ際「小原、村上の二名は甘いから、よく注意してくれ」という意味のことを申送られたことが認められ、

(ヌ) 昭和二十三年十月二十九日付朝日新聞社会面に掲載されたNHK演出係の婦人組合員罹免問題を原告小原が取材執筆したことは、当事者間に争なく、その直後放送協会会長古垣鉄郎氏より被告会社に対し時期外れの記事を事改めて問題化した他意ある記事であるから注意してほしい旨の抗議があつたことは証人矢島八洲雄(第二回)同進藤次郎の各証言によつて認められ、

(ル) 昭和二十三年十二月三十日朝連合国最高司令部新聞課長インボデン氏が、被告会社に対し、編集局長、社会部長、並びに原告小原の三名の出頭を求めたが、小原は休暇旅行中のため編集局次長門田勳社会部長進藤次郎並びに編集局附鈴木乾三の三名が同日右同氏を訪れたことは当事者間に争がない。而して証人進藤次郎同鈴木乾三の各証言を綜合すると、その際インボデン氏は、民間情報教育局長を代理する正式の資格において、当時争議中の改造社の紛争について、原告小原が、取材のためと称して同社の共産党分子の主張を支持した上会社の幹部に威嚇的言辞を用いた事実を強く指摘し「小原は明らかに共産分子と見られる。このことについては会社からの報告もCICからの報告も全く一致している」旨を明らかにして、原告小原の取材活動につき、被告会社に警告を与え、暗に同人に対して、適当な処置をとるべきことを求める意思であることを伝えたことが認められ

(ヲ) 昭和二十四年三月被告会社における右原告の担当部門が労農関係から、文化団体関係に変更されたことは当事者間に争なく

(ワ) 昭和二十四年七月十七日午前三時頃国鉄組合加藤委員長がジユネーブのILO大会から帰京して被告会社に立寄つた際、原告小原が同氏を編集局長室に迎えたことは当事者間に争なく、その際国鉄組合民同派に所属する井岡文重氏等が同氏を出迎えるため来社していたことは、証人井岡文重の証言により認められ、

(カ) 原告小原本人の供述によれば、昭和二十四年八月頃右原告が同僚に対して、「伊藤律になら何時でも紹介してやる」旨の話をしたことが認められ

(ヨ) 証人矢島八洲雄(第二回)同進藤次郎の証言によれば、昭和二十三、四年頃社会部長進藤次郎が、右原告を他部の次長として、推したが、いずれも当該部長の承諾が得られなかつたことが認められる。

しかしながら被告の主張事実中、右原告が、文化団体関係担当となつた後も労農方面に興味を持ち、特殊な文化活動といつた材料にのみ熱中する傾向が見られたという点、加藤委員長がILO大会より帰つて、被告会社に立寄つた際同氏をかこんで国鉄組合民同派の者が密談中それに聴き耳を立てるような態度を見せた原告小原が、強く忌避されたという点、及び被告主張(ハ)の事実についてはこれに副う証人進藤次郎の証言は、証人井岡文重並びに原告小原に対する本人訊問の結果に照らし、措信できず、また証人矢島八洲雄の証言(第二回)中、同人が東宝重役馬渕氏より、特に右原告を指摘した抗議を受けたという点は、原告小原本人の供述に照らし、容易に信用できず、その余の被告主張事実については、これを認めるに足る証拠がない。

のみならず更に

(g) 右(チ)の事実については、証人鈴木乾三の証言により、当時国鉄民同関係の記事を執筆していた被告会社の記者は原告小原外一名でありインボデン氏の前記指摘においては、この両人の何れであるとも、明白に区別がされずまた、その具体的事実或いはその抗議の当否が明らかでなかつたことが認められるのみならず、証人片岡文重の証言によれば、国鉄組合民同派の当事者として見ても、当時の朝日新聞に、民同派の不利をはかるような記事が掲載された記憶なく、また原告小原の取材態度についても、特に記憶に残るような不満な点がなかつたことが認められ、他にこの認定を覆すに足る証拠はない。

(h) 右(リ)の事実については、原告本人の供述により、当時東宝争議について主たる取材の任に当つていた被告会社記者は原告以外の演劇担当記者であり、原告小原は、随時同人をカバーするため取材に出かけていたこと、右原告が、その頃被告会社から何等この取材活動について注意を受けることのなかつたことが認められるに反し、右の抗議の基礎となつた具体的取材活動又は、記事、及びこの抗議が争議に関係した被告会社記者の何れに関するものであるか或いは、この抗議の妥当性等についてはこれを詳かにすべき証拠がないのみならず、証人進藤次郎の証言によるも、東宝関係の記事に限らず、一般に労農関係の記事は重要視され、会社或いは組合側によつて、利用されることの多かつたことが窺われ

(i) 右(ヌ)の事実については、乙第三十五号証(昭和二十三年十月二十九日付朝日新聞「東京」第二面の写真なることについて当事者間に争がない)及び証人進藤次郎の証言並びに原告小原本人の供述によれば、右原告がこの事件を取材して執筆するに当つては予めその可否について上司と相談したところ社会部としても将来発展する事件と考えて執筆に賛成したこと、右原告はその際両当事者の言分をそれぞれ聴取したうえで、記事を作成したこと、右原告が本件訴訟においてはじめて、この記事について放送協会会長より抗議のあつたことを知つたことを認め得るに反し、右抗議が正当な根拠にもとずくものであることについては何ら首肯しうるに足る証拠なく、

(j) 右(ル)の事実については、甲第七号証(昭和二十三年十二月三十日付朝日新聞なることについて当事者間に争ない)証人進藤次郎の証言及び原告小原に対する本人訊問の結果を綜合すれば、改造社関係の昭和二十三年十二月三十日付朝日新聞の記事は、出版関係担当記者と右原告が分担し、右原告は主として、改造社理事平田貫一郎に面会して取材したが、その際原告は何等同氏に対して脅迫的行為をしなかつたのみならず、聴取した談話の結果について、再び同氏に念を押した上で、これを同理事の談話として記事にしたこと、原告が取材して帰社する前既に、右理事より編集局長宛に、この事件は総司令部が知つているからあまり書いてもらいたくない旨の電話があつたにもかゝわらず、局長は右原告の取材に誤りのないことをたしかめたうえで、記事の執筆を命じたこと、インボデン氏から正式に警告をうけた際、同氏は何等脅迫等の具体的事実については明らかにされず、また門田編集局次長及び進藤社会部長は終に総司令部の見解に承服しなかつたこと、その後右原告は事件の経過を詳しく被告に報告し、また被告においても本件を調査したが、結局何等記事を訂正することなく、更に経過記事を掲載し、右原告はその後も引続き労農関係担当記者として勤務していたことを認めることができるばかりでなく、これらの事実によれば、その後右原告が労農関係より文化団体関係え、その担当部門を変更されるに至つたとはいえ、(この点については前記のように当事者間に争がない)被告がインボデン氏から与えられた前記警告の前後を通じて右原告の取材活動或いは思想傾向について総司令部とその見解を異にしていたことを推認するに難くない。

(k) 右(ワ)の事実については、原告小原本人の供述によれば、同原告が労農関係担当でなくなつた後であるにもかゝわらず加藤氏の接待に関与したのは、たまたま同夜右原告が被告会社に居合わせたところ同人が加藤氏と面識のあるところから、編集局次長が、接待を依頼したことによるものであることが認められ、

(l) 右(カ)の事実に付いては、原告小原本人の供述により、このような話が出たのは、被告主張のような経過によるものではなく、右原告が共産党の定例記者会見から帰社してその結果を整理していた際における同僚との談話の一部分にすぎないことが認められ

(m) 右(ヨ)の事実については、他部えの転出が受入れられなかつた理由につき単に証人進藤次郎の証言中に、同人の推測が存するにとどまり、他に被告主張のような根拠にもとずくことを認めるに足る証拠はない。

(n) かえつて証人中山伊知郎、同鮎沢巖の各証言によれば、右原告は労農担当記者として中央労働委員会に関係のあつた当時、労働問題の研究に熱心でその言動も公正な優れた記者と認められていたことが窺われる。而して原告両名に関して認められる以上の事実を綜合すれば、被告が原告両名を共産主義者又はその支持者と認定するに至つたと主張する具体的事実中、その一部については、これを認むるに足る証拠なく、その余の証明ありたる事実即ち、原告梶谷について前記(イ)乃至(ト)原告小原について前記(チ)乃至(ヨ)の事実については、それぞれ前記(a)乃至(f)及び(g)乃至(n)のような事情が認められ、これらの事情を綜合して考えれば、前記(イ)乃至(ト)或いは(チ)乃至(ヨ)の事実はいずれも原告両名の新聞記者、労働組合員或いは一個の社会人としての通常の活動の範囲に属するものといわざるを得ず、これらの事実によつて原告両名を共産主義者又はその支持者と断ずることはできない。もつとも乙第三十乃至第三十二号証、同第三十三号証の一の一、二、同号証の二の一、二、同号証の三(いずれも被告主張のような「国民と共に」の写真であることについて当事者間に争ない)並びに証人矢島八洲雄の証言(第二、三回)及び原告両名に対する本人訊問の結果によれば、原告両名が本件解雇直後より言論弾圧反対同盟朝日班に所属し、右同盟が刊行している「国民と共に」には日本共産党の主張等も掲載されていること、原告両名が同紙昭和二十六年七月二十八日付解雇一週年特集号に、編集者の求めに応じて、所感を投稿し、また原告梶谷が「国民と共に」の発行に当つて原紙を切る等の手伝をしたことのあることが認められるが、これらの事実は、いずれも本件解雇後のことに属するのみならず、証人大高修一の証言並びに原告両名の供述によれば言論弾圧反対同盟は、昭和二十五年七月から八月にかけて行われた所謂レツドパージによる報道関係被解雇者によつて、結成された馘首反対同盟としての性格が強く、被告会社の被解雇者は、全員その朝日班に属し、互に法廷闘争、生活資金獲得等につき協力することを当面の目的としたもので、昭和二十六年八月頃までは比較的活動していたが、その後次第に沈滞し、原告両名も、その当時以後は殆ど何等の関係もないこと、右認定の事実を除き、原告両名とも「国民と共に」の刊行に関与していないことが認められるから、これを以て前記認定の事実と綜合して考えてみてもなお、原告等を共産主義者又はその支持者と認めるに由ない。

然らば原告両名に対する被告の解雇の意思表示は、前掲昭和二十五年七月十八日付連合国最高司令官発、吉田内閣総理大臣宛書簡にもとずく指令の範囲に該当せず、従つてこの指令の実行とはいいえないのであるから、これらの意思表示の効力については、日本国憲法その他の国内法規の適用を排除し得ないものといわざるを得ない。

三、そこでこれらの解雇の意思表示が不当労働行為として無効であるという原告等の主張について考える。

乙第三十四号証(全朝日委員長作成の原告小原の組合歴に関する証明書の写真なることについて当事者間に争ない)及び成立に争のない甲第一号証、証人佐野弘吉、同三枝重雄、同秦正流の各証言及び原告両名に対する本人訊問の結果を綜合すれば、

(1) 昭和二十三年十月頃被告会社の従業員をもつて組織されていた全日本新聞労働組合朝日支部が分裂した際、一方に新たに、朝日新聞労働組合(以下朝日労組と略称する)が結成されたが、この朝日労組が御用組合化する傾向にあることを恐れた一部従業員は別個に東京編輯労働組合(以下編輯労組という)を組織し、その後引続いてこの組合が中心となつて被告会社における各労働組合の統一を目的とする朝日新聞統一協議会を設けて活動した結果、終に昭和二十四年八月頃全新聞朝日支部東京分会及び大阪分会、朝日労組を除くその他の従業員(編集、出版関係については、その約九割を占める)をもつて全朝日新聞労働組合を結成するに至つたのであるが、その間被告会社は職制を通じて従業員に対して全新聞朝日支部よりの脱退或いは朝日労組えの加入を勧奨したり編輯労組の結成について活動した中心人物等に対しては、被告側から、種々な干渉が行われ、それに起因して退社するに至つた従業員も数名あることなどが認められるところ、

(2) 更に原告梶谷については、同人が昭和二十二年から、同二十三年八月迄新聞単一或いは全新聞の朝日支部大阪分会の執行委員或いは機関紙部長其の後東京分会の代議員及び執行委員となり更に組合が、分裂した後は編輯労組の結成準備に参加し、結成と同時に機関紙部長となり、その後編輯労組が発展的に解消して、全朝日労組が結成されるに及んで、同組合東京支部の機関紙部長となりその後昭和二十五年五月中旬全朝日労組の第二代執行委員長に選任されたこと、全朝日労組の委員長として、前記認定のとおり五、三〇事件における大西兼治社員の救援問題につき、他組合との交渉の任に当り後に全新聞朝日支部及び朝日労組のいずれとも別個の立場に立つて全朝日労組東京支部拡大執行委員会において大西の減刑嘆願、救援カンパを決定するに当りこれに関与し、更に全朝日本部執行委員会における、大西の身分について慎重な考慮を希望する旨の決定を委員長たる右原告名義にて被告宛提出したこと、本件解雇当時右原告は、全朝日委員長として、被告との間に賃金問題について交渉中であり、解雇後被告から正式に同人を委員長として認めない旨の申出があつたため、組合役員の減少とともにその後の団体交渉に支障を来し、終に賃金交渉は妥結しないまゝ立消えになつたことが認められ、

(3) 原告小原については

同人は労農担当記者である間は、なるべく自ら組合活動に関与することを避けていたが、社会部所属記者の先輩格であり、また労農担当記者としての知識経験を有していたことから、組合活動に関する同人の発言力は大きく、全新聞朝日支部の分裂後、朝日労組以外の第三組合の結成の必要を主張するとともに編輯労組結成準備の当初より、その有力な中心人物となり、特に社会部員の同労組加入を推進し、結成後昭和二十四年三月以降同年九月頃迄同労組書記長並びに統一協議会仮書記長として各組合の統一に努力しその間被告との団体交渉の衝に当るとともに、その後結成されるに至つた全朝日労組の綱領、規約、運動方針等の起草に当りその結成とともに本部執行委員を、次いで同労組東京支部執行委員、組織部長を歴任し、常に同労組の有力な中心人物であつたことが認められる。

而して原告等の組合活動に関連して認められる右三、(1)乃至(3)の事実と原告等が何れも共産主義者又はその支持者に該当するが故に解雇したという被告の主張にもかゝわらず、所詮同人等をかゝる者と認めるに由なきに至つた前記二、摘示の各事情とを綜合して考えると被告の右原告両名に対する解雇の意思表示は連合国最高司令官の前記指令が直接の端緒となつたことは右認定の事実により否定し得ないとはいえ、なお同人等の労働組合における正当な活動、特に全新聞朝日支部分裂後における東京編輯労働組合、全朝日新聞労働組合の結成及びその後の活動を主たる根拠としてなされたものと推認する外ない。

然らば、被告の原告梶谷に対する昭和二十五年七月二十八日付、原告小原に対する昭和二十五年八月一日付の各解雇の意思表示はいずれも労働組合法第七条第一号に違反する不当労働行為として無効なるものにして、他に特段の主張立証のない本件においては、現在、被告と原告両名の間に、各従前の雇傭関係が存続しているものといわざるを得ない。

よつて、右趣旨における原告両名の本訴請求は理由があるから、これを認容し訴訟費用の負担については、民事訴訟法第八十九条の規定を適用して主文の通り判決する。(昭和二七年一二月二二日東京地方裁判所民事第十九部判決)

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